ロンドンで一番荒れ果てたジェントルメンズ・クラブでのギャンブル

19世紀末のロンドンのクラブでは、前世紀の粋な先駆者とは似ても似つかず、ギャンブルが問題となっていました。ギャンブルは上流階級と下流階級の両方に影響を与えていました。1845年に議会がゲームとギャンブルに関する規則を改正する法律を可決したとき、改革派は最初の勝利を収めました。実際、裁判所の権限により賭博は廃止になってしまったのです。しかし、何だかんだとギャンブルは世紀を追うごとにエスカレートしていったため、1890年には非国教会のグループによって全国反賭博連盟が設立されました。

さらに、ギャンブルは貴族の「欠点」であり、下層社会に汚染されていると主張する人たちによって、最も裕福なプレイヤーを対象とした活動が開始されました。しかし、この活動には牽引力がありませんでした。ギャンブルは従来のエリート社会に属しており、特に流行に敏感な王子プリンス・オブ・ウェールズに愛されていました。19世紀になってクラブでのギャンブルは減少しましたが、庶民にとって、クラブは一攫千金を狙える場であると考えられていました。1895年のマリー・コレリの教訓小説『悪魔の悲哀(The Sorrows of Satan)』では、クラブがハイクラスのブルジョワ階級の富と退廃の震源地として描かれています。

祖先から遺産を相続し、その後、多額の利益が出るスポーツなど上流階級の生活を送り、その後悲劇を経て転落する人生…。ある若者がマールボロ・クラブの外を歩いている途中で不意に自殺する様子を見ています。ギャンブルは、モラリストの間では、経済的破綻や富裕層の災いとなる原因の一つでした。クラブにおいて、ギャンブルは一般的に繰り返される問題とすらなっていました。特に、セント・ジェームズ・クラブはゲームで悪名高いものでした。1880年代の最盛期から20世紀初頭まで、ギャンブルによる苦境が多く記録されています。